存在しない完全

ただの雑記ブログ

花のない桜を見上げて、満開の日を思ったことはあったか

あれから4日が経過した。私の好きな欅坂46の無観客生配信ライブから4日、あの2時間を振り返ろうと思う。


正直、ライブを見ることをためらっていた。チケットを購入したのはライブの2時間前である。それくらいぎりぎりまで迷っていた。


1月に相次いでメンバーの卒業、脱退があり、それ以来正直わたしの欅坂に対する熱は失われつつあった。やはり平手の脱退は痛かったし、大きなショックだった。平手友梨奈個人については、また今度思いを書こうと思う。1つ言えるのは平手=欅坂だったことは間違いなかった。平手坂、などと揶揄されることも多かったが、仕方のないことであった、と私は思う。彼女がいる限り、彼女をセンター以外に置くということは誰もできなかっただろうし、彼女も中心以外には存在できなかったと私は思う。いろいろな意見があるのは承知しているが、彼女がグループメンバーである限り、センターに君臨するか、そうでなければはじめからステージには上がらない。その二つの選択肢しかなかったと思う。


だから、平手が脱退を発表した時、申し訳ないが「終わったな」と思ってしまった。これからもグループは存在し続けるかもしれないが、私たちが望んでいるこれまでの欅坂はもう見れないと思った。そもそもシングルも1年以上出ていないし。これまで欠かさず見ていた「欅って、書けない?」もまったく見なくなってしまった。だから新2期生なるものが加入していたなんて知りもしなかった。それほどまでに興味を失っていた。


それでも今回直前になってチケットを購入したのはなぜか。行ってしまえば「怖いもの見たさ」である。いつも欅坂にはすぐにでも壊れてしまいそうな不安定感があった。それが私を引き付けていた。だから平手なき今、解散、改名、グループ分裂などがネットで囁かれる中、何を見せてくれるのか、気になった。そして「重要なお知らせ」とは一体何なのか。何が起こっても、見届けよう、そう決めた。


お酒と歌舞伎揚げを準備して、パソコンの前で待機する。直前までブログを書いていた。わくわく、ではない。不安と期待とが入り混じる。


overture。背を向け横一列に並ぶ彼女ら。幕が上がる。光指すほうへ歩みだす彼女ら。まだこちらに顔も見せていないのに、チケット買ってよかったなとここでもう確信していたのかもしれない。

「太陽は見上げる人を選ばない」から明るく始まったライブは

「エキセントリック」は土生瑞穂がこの曲は私がセンターでしたよ?と言わんばかりの存在感。三階建ての足場にメンバーがそれぞれ「東京タワーはどこから見える?」職業柄、安全帯かけないと危ないよ、とか思ってしまいます。(笑)


「Student Dance」「Nobody」では観客のいないライブということを生かし、学校のセット、トリックアートが用いられたセットで不思議な世界観を演出してくれた。

ああ、これこそ欅だ。平手がいなくても、失ってはいない。幻想に連れ込んでくる。


前半戦最後の曲は「アンビバレント」。

センターにいるのは、なんと小池美波である。これまで平手以外でアンビバレントのセンターを務めたのは渡邉理佐土生瑞穂鈴本美愉、だったと思う。私の記憶では。ライブでもなかったはずだ。

どちらかといえば「欅らしくない」イメージを彼女に私は持っている。男子が好きそうなルックス、笑顔が似合うキュートな声。らしくないというのは悪い意味ではなくアクセントとしては重要なポジションを担っていると私は思っていた。そんな彼女がセンター。アンビバレントのセンター経験があるメンバーを置いて安定を図らず、別のメンバーを据えて壊しにくるところが実に欅らしい。

クールで激しいダンスを躍りながら、時折見せる不適な笑み。ああ、かっこいい。ごめんなさい。欅らしくないとか言って。欲を言うならあなたがセンターの二人セゾンもこのライブで見たかったです。


換気タイム、インタラクティブタイムを挟んで「大人は信じてくれない」センターは山崎天。そんな歳とは思えないほどの存在感と表現力。

雨に包まれたセットでの「避雷針」。私の、いちばん好きな曲です。やってくれた。このセンターはやっぱり理佐以外に考えられません。圧巻です。うーん、かっこいい。


「風に吹かれても」「ガラスを割れ!」立て続けの表題曲は共にセンター小林。何様目線だよって感じですが、彼女すごく変わりましたね。昔はもっと自信なさげでおどおどしてるようなイメージを抱いていたのに、いまではいちばん頼もしいメンバーとなって欅を引っ張っているように感じます。


そして、mc。

わかっていた。わかっていたんです。ネットで言われていることはおそらく根拠のないただのガセではなく、きっと本当なのだろうと。もはや平手が去った時から、予想はできた。たぶん、そうなってしまうのだろうと。それでもキャプテンの口からその言葉が出たとき、思わず目を瞑ってしまった。ついに、きたか。信じたくはない。でも、受け入れなければならないときが、きてしまった。


これは私の勝手な解釈と妄想である。ラストライブを終え、正式にグループ名が変わった後、彼女らが「欅坂46」の楽曲をパフォーマンスすることは二度とない。二度と。音楽番組ではもちろん、ライブでも、である。1曲たりとも。欅坂46を捨てるわけではない。それは分かっている。誰がその鐘を鳴らすのか?の最後の振り付け、欅ポーズを胸にしまい込むように、これからも彼女らは欅坂とともに歩んでいくだろう。しかしこれまでの路線をたどるようなことはしないのだ。新しく生まれ変わります、と菅井が言っていたように、ベつのグループになるのだ。メンバーは同じで、名前が変わっただけ、とはいかないだろう。独特の世界感を作り、クールでダークで儚くて魅力的な彼女らはいなくなるのだ。


それは悲しいことであるのだが、どこかこれでよかったと思ってしまう自分もいる。短期間で消えてしまうことさえ、欅坂の世界観を表しているようで、これまでの彼女らを際立たせる。タイトルに書いた「二人セゾン」の歌詞のように。消えてしまった後にああ、あのグループは本当にすごかった。ライブとかもっと行っておけばよかった。もう一度だけ、欅坂を見たい、そうやって満開であった時をわたしは思うのであろう。


それでも、木そのものがなくなるわけではないのだ。「前向きなお別れをする」とキャプテンは言った。信じよう。私たちファンにはそれしかできない。どんな名前のグループになるのか、次はどんな色の花を咲かせてくれるのか。見とどけたい。また、別のカラーで私たちを引き付けて離さないグループになることを信じて。


あ、欅共和国2019のDVDは絶対に手に入れないと。