夏の始まりに
8月に入り、はや一週間が経とうとしている。
夏が開幕した。
私の住む地域では7月から8月へカレンダーが切り替わるのと同時に、梅雨から夏へ季節のバトンは渡された。
うだるような暑さとはまさにこの事だろう。朝から太陽は情け容赦なく私を照りつけ、体力とやる気をみるみるうちに奪っていく。雨が続いていたころ、それはそれでやる気が削がれるのであるが。
1週間前にはあれほど待ち詫びていたこの青空が、光が、もうすでにうっとうしく感じられる。曇り空に憂鬱な想いを浮かべていたあの時間は、すでに遠く過ぎ去ってしまい、なにを考えていたのかすらもう思い出せない。
「夏」という季節を表現するにはどんな言葉が似合うとみんなは考えるのだろうか。私の勝手なイメージでは情熱である。ちなみに冬は切なさである。世間一般的なイメージはこれとそう遠く離れてはいないのではないだろうか。大体、これと似たようなことを考えると思う。
おそらくであるが、汗のせいなのである。8月と12月では同じ運動量、活動量でも汗をかく量は半端じゃなく違う。私は外仕事をしているので今もありありと感じられる。1日が終わったあとのインナーシャツは絞れるほど水分を含んでいる。水やスポーツドリンクを浴びるように飲んでいないとやってけない。
汗水垂らして~などといわれるように、汗イコール頑張っている、というイメージが沸きやすいのである。たいして動いていなくても、外にいるだけで汗びっしょりになるのだから、「あー私頑張った!」という気持ちになりやすい。「頑張りました感」が出やすいし自分でも感じられやすいのだ。
学生時代、運動部に入っていた人は特に夏=頑張った、情熱、みたいな想いを抱いているひとは多いだろう。暑いだけで、体力は消耗する。そんななかで、自分を何とかどうにか奮い立たせて頑張って走るのだからあの夏はきつかった、ホントに頑張った、と語る人も少なくはない。
効率はまあよくない。気温はクソ高いのに走り込みだ!なんてやっているのはただ無駄に体力を減らしているとしか思えない。(まあある程度は暑さになれてないと試合などで全く走れなくなるので仕方ない部分もあるのだが)
話が脱線してしまったような気がする。とにかく夏は私にとってはその内容はどうであれ、気持ち的には「頑張ってきた」季節なのだ。涼しい部屋の中から、車のなかから見上げる青空は、空はこんなに青かったっけ、と思うくらい眩しくて、美しい。
それと同時に、不安にもなるのだ。
あの夏は、頑張った。頑張れた。必死でやった。
いつだって必死で生きてきたつもりだ。
でもあの青は、お前はやれているのか?そんなもんなのか?そう語りかけてきて、私は飲み込まれてしまいそうになる。
来年の夏は1年前の夏を誇れるだろうか。
ああ、誇れるだろうか、じゃないんだよね。これが私の悪い癖だ。だから今まで、うまく行かない。
するんだよ、私の手で、私の体で。
夏は始まったばかりだ。まってろ。