自分を救ってやれるのは
ずっと迷っていた。なにが自分に向いているのか、自分には何ができるのか。高校を卒業してからの数年、学校も、仕事も、あれも嫌だ、これも嫌だと言って長続きしない。だからといって、やりたいことなんてない。普通に最低限の生活ができるくらいの金がもらえる仕事をして、そのうち結婚して、家庭を築いていけばいいじゃないか。そう頭ではわかっているんだけど、
なにが不満なんだ?なにが気に入らない?
なにがどうなれば俺は満足なの?
情熱を燃やしたい。何かに打ち込みたい。今までにない本気を出したい。
資格も学歴もスキルもないくせに、プライドだけいっちょまえに育ってしまった私の中の私が叫ぶ。
じゃあ、何に対して?
自分の好きなものについて考えてみた。自分が心打たれるものについて。小説、アイドル、歌手、音楽、漫画、絵、サッカー、筋トレ?
この中から仕事になるものなんてなぁ。なにがあるんだよ。
自分で自分のことがよく分からない。私と同じ20代くらいの人なら同じように感じる人も多いのではないか。けれど、自分の心引かれるものについて、強く心揺さぶられるものについて、20数年生きてきて、ようやくわかったことがある。
大きなくくりでは 「芸術」 と呼ばれるものだ。
ずっと自分とは無縁のものだと思っていた。芸術と聞くと、僕はだいたい絵を書くことをイメージする。絵を書くことは一番苦手だった。学校の美術の時間は一番嫌いだった。ずっとサッカー部でどちらかと言えば体育会系の私に、そんなものは似合わないと思っていた。
でも、今。
感性と色彩豊かな絵に、思いの込められた楽器の音色に、人々の心をつかむメロディーと歌詞に、透き通るような歌声に、心の奥底に地震を起こすその一文に、
私は毎日魅了されている。
笑顔と元気を与えるアイドルも、勇気くれる漫画も、きっと芸術のひとつだ。
特に本、小説は、ずっと好きなものだった。小学生の頃は休み時間に外に遊びに行った記憶がない。図書館を支配する主となっていた。毎日、毎日。
幼稚園の頃はお昼寝の時間はずっと絵本を読んでいた。最初の頃こそ先生たちも寝かしつけようとしていたが、そのうちあきらめて僕用の小さな椅子と机を用意してくれるようになった。中高の頃はサッカーに明け暮れるか、本を読むか、その2つを楽しみに生きていた。センター試験国語、小説の分野は50点満点だった。嬉しかった。
もはや生活の一部となっていた読書を一番好きなものだなんて意識することがなかったんだ。好きなものを仕事にしたいなんてみんなが夢見る幻想だけど、小説家になろうなんて考えは微塵も頭になかった。そんなもの僕には無理だよなぁ、って、あんな長い文章やストーリー書けるわけないよ、そんな才能ないよ、って。まあそりゃそうだ。
なろうとしなかったんだから。
書こうとしなかったんだから。
自分にはできないと決めつけて、やろうとしなかった。勝手に蓋をして、可能性を閉ざしていた。そのくせやりたいことがない、好きなものがない、夢中になれるものがない、なんてほざいていた。
ふざけるなよ。
好きなら、やろう。無理だと諦めるなら、とことんやり尽くして、私はもう限界までやった、もういい、と思えるまで、やろう。私はきっと、表現したいんだ。自分の中にあるものを。そして人々の心を揺さぶりたい。私のこの手で。
やっと気づけた。なーにを夢物語を言ってんだ。と思われるかもしれない。そんな甘くないよと、鼻で笑われるかも知れない。頑張っても頑張ってもいい文章は書けないかもしれない。
それでも、いい。
とことんまで、やってやる。だから、見ていて欲しい。私が、自分の言葉で自分の頭で、作り上げたものが、人の心をつかむまで。やりきってやる。
燻っていた僕を、何者にもなれない私を、救ってやれるのは他でもない、私自身だ。