存在しない完全

ただの雑記ブログ

欲しいもの

ずっと自分のことを特別だと思っていた。小さなころからみんなが気がつかないような小さなことにも気付けた。物覚えがいいね、要領がいいねと言われて育った。先生や親の顔色を伺って起こられないように、先回りして悪を潰し、自分に求められることは全てやった。学校は好きだったし、勉強も教科によるが好きだった。生徒会や体育祭のリーダーや部活のキャプテンなど様々な役割をこなしてきた。自分からやろうと思ったわけではなく、友達が、先生が私にやって欲しいと言うからやった。他の人がいやいややるくらいなら私がぜんぶやった方がうまく行く自信はあったし、目立つのは嫌いじゃない。人前に立つのだって苦ではなかった。


あいつすごいなって、みんなに思われたい。誰しもきっとそんな感情は持っている。不得意なこともなかったから、回りに求められることは全てやった。その役割をうまくこなせばすごいなって思ってもらえるし、何より頼られている感じがして嬉しかった。


やろうと思えばなんでもできる。ちゃんと真面目に取り組めば、私にできないことなんて存在しない。学生生活の中でそんな自尊心はすくすくと育っていった。


悪いことではない。それが根拠のない自信であってたとしても。私は特別なんだ。他のとは頭の構造が違っていて、同じ人間でも私は特別な感性、思考力、行動力があるんだ。なんだってできる。大人になればなんかでかいことをやってやろう。


そう、錯覚していた。まさしく中二病。社会をなめていた。金と見栄と虚言が渦巻く社会に放り出される。私は凡人だった。凡人どころか、欠陥品だった。

仕事でも、私生活でも、当たり前のことができない。みんなはなに食わぬ顔をしてひょうひょうと生きているように見えるのに。何もできない。気づいた。私は人間ではなかった。

言われたことはなんでもこなす。文句や口答えなどしない。要求されたものは完璧を追求する。なんでもこなすからなんでもできる。注意されたことはすぐ修正する。いいことだと思っていたのに。指示を受けなければ、何もできない。

私には意思がなかった。こうしたい、ああしよう、そんな思いが私にはなかった。言われればなんでもやるが、言われなければなにもしない。なにをしていいかわからない。どうすればいいのか、喜んでくれるのか、聞くことさえ怖くてできない。全て言ってくれればなんだってやるのに。私にはやりたいことなんてなかった。だから、苦しかった。人とは違うと思っていたのに、それは悪い意味でだった。


積極的になろうとしても、これをすれば起こられるんじゃないか、こう言ったら機嫌が悪くなるんじゃないか、そんなことばかり考えて、疲れる。生きづらかった。誰か、全てが私のやるべきことを決めてくれ。言ってくれれば、なんでもやるから。

苦しい。普通に生きたい。普通に働いて、普通に遊んで、普通に暮らしたい。そうすることができれば楽なのに。余計なことを考えたくない。

なのに、この自分を嫌いになれずにいる。悪い意味で人とは違うことがわかっているのに、普通になってしまうのが面白くない。こんなにも苦しいのに。

ならば、神様どうか、他のことはなにもできなくてもいいから、一つだけ、才能を下さい。他の人がどうあがいても追い付けないような、てに入れられないような、特別な、私だけの唯一の武器を下さい。それを磨き上げて見せるから。それだけで私は生き抜いて見せるから。

幼いころからスポーツや音楽の才能が発揮されていればよかった。そしたらもっと自信を持っていたのに。あいにくわたしは運動音痴で音感もない。

なにもないわたしは、作るしかない。戦える武器を。いま手持ちにあるもので、どうにか。一体なんだ。無理矢理にでもいうなら、きっとこうやって苦しむことのできる感受性と想像力だ。これが有り余るばっかりに、苦しんできた。ここからは自分を生かすものを作るために使おう。